銅像ではなく石像ですが
学校と言えば二宮金次郎の像です。この写真は玉川小学校の金次郎です。
実は以前放送された、NHKテレビ「その時歴史が動いた」をみていて、二宮金次郎は「勤倹勤勉」だけではなく「リスクマネジメント」や今で言う「NPO活動」をしていたのだと再認識しました。
幕末に起きた天保の大飢饉の時、全国の村々の救済に活躍したのが二宮金次郎だったのです。独創的な手法で、規則に縛られる役人達たちに対峙しながら、瀕死の困窮の民衆の支援に奮闘。小田原領民4万人を1人の餓死者もなく救うことに成功したということですから、まさにNPOの鏡です。
二宮金次郎の銅像のルーツは、幸田露伴が少年向けの伝記を書いたとき、口絵に薪を背負って読書する姿を描いたことから普及したのだそうです。銅像が全国に設置されたのは昭和初期から15年で、金次郎の勤勉のイメージが当時の国策に利用されたのです。戦争の激化で、銅像は金属類回収の一環として供出されてしまったので、現在残っているものは石像が多いようです。戦後は全国に一斉復活することはなかったようですが、取り壊されることもなく残っているというのが現状です。
新しいイメージの人物像として子ども達に紹介すればいいのでしょうが、戦争に利用されたり、「夜中に金次郎が運動場を走る」「薪の数が増える」など怪談話にされたりするのでは、金次郎も浮かばれないことだと思います。
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