模倣のおおらかさ

浮世絵と著作権から話が長くくなってしまいました。最後に、模倣(コピーではなく)ということについて触れておきたいと思います。芸術作品はもとより、特に芸術と商品が重なる世界では、模倣がついてまわります。浮世絵についても、色合いにおいてとくにそうなですが、線や形でも真似や影響が多い世界で、それが浮世絵表現をさらに華やかなものにしているといわれています。

版元制度があるといっても、こういった考え方は非常におおらかです。自分の表現をひろげ、次世代に伝えていく、もしかすると職人たちはその活動そのものを価値と感じていたのかもしれません。また、当時の消費者たちも生産者とともに、自分たちの浮世絵を創り上げていったのかもしれません。

La_japonaise 余談ですが、ミーム(模伝子)という言葉があります。オックスフォード大学の生物学者ドーキンスが、著書「利己的な遺伝子」の中で作り出したものです。「 ミームは文化の伝達や複製の基本単位である。」と彼は定義しています。そこで、文化も本質は模倣(まね)にあるとして、模伝子(ミーム)によって伝えられるという考えも生まれてきました。でも、この話を続ければきりがありません。これは著作権とは全く別の枠組みの話かもしれませんね。(おわり)
画像 モネ 「ラ・ジャポネーゼ」

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生活の芸術化

1861年、イギリスのモリスは、製品やサービスの中にデザインによる芸術性を持ち込んで、人々の生活を一変させようと提案するために、モリス商会を設立しました。モリス商会の製品は、専門の職人が手仕事で製作しました。モリスは絶えず技術研究を行い、たとえばタペストリー製作を開始するにあたっては、中世の織機を復元したり、古い植物染料を自ら創り出したりもしました。

しかし、こうして生産された製品は良質で美しくはあっても、高くつくことは避けられませんでした。モリスは、大衆の生活をよりよいものにすることを目指したのですが、実際には上流階級にしか入手できない品物を生み出すことになりました。

しかし、良質なデザインのもたらす生活の豊かさが理解されるようになり、やがて世界中の画家や建築家をクラフトやデザインに転向させることにつながりました。つまり絵画や彫刻と言った「大芸術」ではなく、日常生活の中で大衆に役立つ「小芸術」が広がってきたのです。A27_1これを、「アーツ・アンド・クラフト運動」と呼びますが、中でもアール・ヌーボーが有名です。「生活の芸術化」といわれるその思想は、商品(家具・絵画・壁紙など)を超えて、建築・文化施設、さらにはまちなみや都市などに及んでいます。そして人々に感動をもたらすことのできる都市や地域をつくる活動のひろがりは、自治体を変え、政府を変え、やがて世界をも変えるだろうといわれています。

浮世絵もまた、大衆芸術から大芸術へ、そしてヨーロッパでの小芸術の動きの渦に巻き込まれていきました。画像の「カミーユ・マルタン」のデザインは歌磨や北斎の画からヒントを得て描かれたということです。

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浮世絵とブランディング

さて、知識・技術といった無体の資源は、土地やエネルギーといった有体で有限の資源とは異なり、それを創造する独創的な個人が存在する限り枯渇することはありません。そしてそのために、創造物・著作物に複製や頒布の制限が厳しく存在するのです。

しかし、現在において消費財と思われるものも、視点を変えたり歴史的にみたりすれば、非常に価値があり保護される物であるかもしれません。そういう意味で、私自身は、芸術品といわれるものにも、他の製品にも共に、とりあえず創造者に対し注目を払うべきであると思います。

ただ結果として、永遠に心に残ったり、長きに渡って使われ続けたりするものもあれば一瞬で忘れ去られたり捨てられるものもあります。それが工業製品であろうがアニメであろうが良いものは人に感動を与えてくれるしダメなものは使い捨てられるのです。大量に生産されるものは、その特定の商品で世の中に広く利益を与えるにはその方法がよいということであって、大事なことは、生産者が消費者と共に商品の価値を常にチェックし、ダメなもの・無駄なものは大量生産しないということです。Lautrec02_1

私自身は、あらゆる生産物=知的所有物と言う考え方に立ち出発していますが、その製品については、企画・生産・販売のあらゆる過程において価値を見いだし、生産者と消費者双方が生活に密着した最高の製品を生み出すための方策を考えるべきだと思います。こういうのをブランディング戦略というそうです。そして「ブランド」としての付加価値とは何なのかというと、「性能や品質などの機能的価値」「センスがいい斬新とかの感覚的な価値」「高い満足、信頼感などの心理的価値」といわれているようです。

浮世絵は、西洋人にとっては斬新でり、彫りや摺りの状態も高度であり、とても高い満足が得られたのです。特に構図については、息をのむほどの衝撃であったろうと思います。浮世絵の極端な俯瞰構図、唐突な画面の切り方、前景に大きなものを配して中景を抜き突然遠景をつなげるやり方、物のボリュームを無視し輪郭で切り抜いた平板な形態などなど。しかし、江戸時代の日本人にとっては、それは当たり前のものでしかなかったのかもしれません。

画像は、ロートレック『ディヴァン・ジャポネ』1893年

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浮世絵は消費される?

044yadorigi_1 さてこの浮世絵について、少々経済学の片隅をかじりながら、「消費財」という概念で少し思いを馳せてみます。「消費財」とは、最終ユーザーが個人や家庭で使用するために買うものすべてで、消費財の購入者は消費者です。したがって「市場の成熟によって、ニーズが進化し、商品に対する要求が高度化していきます。そして、進化していく消費者に対して提供者は以下のように対応していくそうです。

1,消費者のニーズを定期的に研究すること  2,ブランドの価値を維持し、育成すること  3,店頭に並ぶために配荷率を高めること  4,店頭での「売れる状態づくり(優位置陳列など)」を意識した販売を行うこと など

私は、浮世絵の流通もこの考え方が適用でき、浮世絵はマーケティングの過程により成長していったものだと想像します。それは「役者絵」にみられるように、当時のスターを現在のブロマイド風にし、繁華街で売るというマーケティング戦略を駆使した販売方法がとられていることでもわかります。村中陽一著『真説・写楽は4人いた』には、「役者絵」は、「宝塚歌劇のブロマイドから、女優や衣装の特徴によって舞台名や上演年月、役柄などが推測できるようなものだ」と書いています。大量販売だから破れたり、紛失したり、古くなったら同じものを買うことができる。その結果、芸術と商業製品の中間製品としての浮世絵の論争が始まったのです。

かつて「ラスキン」という経済学者は、「歴史的な遺産のみならず、自然遺産をも富として評価しよう」とする画期的な問題提起をおこないました。つまり歴史や自然や文化のもつ「固有の価値」とは、「所有者にとってはぼろぼろのもので、価値はないと思われている。」が「芸術や自然を理解する人にとっては、かけがいのない貴重な価値がある。」ということです。そしてラスキンは「今すぐは消費していなくても、必要とあればいつでも消費(鑑賞)できる文化財」として「永久的な性質」をもつものであるとしています。                 

消費された浮世絵と、永久的な性質をもった浮世絵。その運命の分かれ道は、きっと受け取る側の事情にあったのでしょうね。                                          

↑ 画像は、「二代目瀬川富三郎の大岸蔵人の妻、宿木 寛政6(1794)年頃 絵師:東洲斎写楽 大英博物館蔵

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コンテンツの「価値」

Tangy ←ゴッホ作  「ダンキー親父」

赤瀬川源平著『名画読本』によると、「浮世絵は表現物であるけれど、商品性を骨としている。売れるか売れないか。というので売れない画風はどんどんすたれる。売れる画風は、どんどんその傾向を広げる。」とあります。 浮世絵は常に経営戦略・プロデュースのための努力がされており、そのためにだんだん高質な彫りや摺りを求めていくことになったのです。ちなみに、北斎の少し前から、舶来の「ベロリン藍」という青の顔料が輸入され、その後、青が取り入れられた作品がどっとあふれたといいいます 。今でいう技術革新や素材革命であり、版元のプロデュースの力を感じさせます。

つまり浮世絵は、芸術性を認める人間がいてはじめて成り立ち、海外で価値が出た事により、ようやく国内でも芸術価値を論ずるようになったという歴史をたどっているのです。従って、浮世絵の海外流出は結果論から言えば、日本の文化的資源の膨大な流出となりましすが、この知的財産権の保護策により、後年はその価値は担保されてきたのです。そのため、皮肉なことに日本の美術館などが買い戻しをしたくても、高価なため買い戻せないという現象も生じてきたらしいです。

ネット社会の現在、文化の知的財産権や著作権は、芸術分野よりむしろ情報関連分野で議論されるようになってきました。文化と情報は切り離されないものであり、一つ一つのコンテンツの「価値」というものについては、誰もが日常的に考えていかねばならないことでしょう。確かにネットを通じて、陶磁器の詰め物に浮世絵を見つけた時のパリの画家の感動が、現在は誰にでもに味わえるというのは素晴らしいことのように思えますが。

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浮世絵と著作権

Photo_6絵画の著作権についてきいたことがありますか? 日本では、著作権の保護期間は著作物の創作時から始まって著作者の死後50年が経過するまでと定められていますから(著作権法第51条)、それを過ぎてしまうと著作権は消滅し、著作物はパブリックドメイン(公有財産)として誰でも自由に使用できるようになります。
さてこの浮世絵の時代の著作権はいったいどうなっていたのでしょう か。結論を先に言うと、版元制度がきちんとあったので、絵師、摺り師、版元など著作権の証明する署名がはっきり明記され、偽物を排除できる仕組みが完成していたそうです。言い換えると、かなり綿密な知的財産の保護策がとられていたといえます。赤瀬川源平著Gogh_2_1 『名画読本』によると、「浮世絵というのは、色彩がゴッホやゴーギャンを生み出し、構図がドガやロートレックを生み出した。」とあるほど、印象派の画家たちに影響を与えています。でも、これって今なら著作権法違反ではないのでしょうか?
 でも、もともと浮世絵は商業商品であり、今のチラシや折り込み広告のようなもので、当初は芸術作品と認識されてはいなかったようです。大量生産の手摺り版画であるので、摺りあがりも当然微妙に違った仕上がりであり、一つ一つの作品はかなりアバウトなものであったようです。それに、当時は、海外への輸出品(陶磁器など)の詰め物になるくらい相当な量が出回り、この隙間を埋める紙くずとして浮世絵がパリの画家たちに届いたようです。国内では当初商業商品以外の価値しかないのでコピーされず、海外で模倣されていたというのがおもしろいですね。(つづく)

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